初めまして!学部1年生の島田隼です。人生で初めてブログを書くので少し不安ですが頑張って書きたいと思います。題名にもある通り今回は僕の自己紹介です。
名前:島田隼 (しまだ はやと)
出身:埼玉県 (さいたまけん)
年齢:20歳 (いちろう)
専門種目:1500 (せんごひゃくめーとる)
陸上歴:9年目 (くねんめ)
特技:習字 (しゅうじ)
好きなグラフ:折れ線 (おれせん)
通わないといけない場所:トレセン (とれせん)
嫌いな飲み物:尾瀬天 (おぜてん)
以上です。(クセが強くてすみません…)
さらに、今回は自己紹介の中でも今まであまり触れてこなかった
特技:習字
の部分を深掘りしていきたいと思います!
気付けば今年も終わりです。来年は卯年らしいですね
きっかけ
2002年6月7日、島田隼は左利きで生まれました。ちなみに名前の由来は当時4歳の姉が直感でつけました。理由とかないそうです。さらに「隼人」ではなく「隼」なのは母親曰く3文字のほうがバランスがとりやすいからだそうです。(バランスとは?)
その後、何事もなく成長し、生活のほとんどを左ベースで過ごしていると、母親から衝撃の事実を知らされます。
「字は右で書かなきゃいけないんだよ」
そうです。これが習字を始めたきっかけです。当時4~5歳の頃の話です。それ以降ずっと字は右で書いていて、もう左では書けないです。ただ、字を書くときだけ右手にしたのでクロスドミナンスなんです(笑) 箸は左でスマホは右、シャーペンは右でタッチペンは左です。
そこから習字教室に通って数年して、あることに気が付きました。
なんか……やけに順調だな…
じつは習字の才能があったんですよね(笑)ここから島田隼は習字において無双モードに入りました。そして特技が陸上でも勉強でもなく習字である理由はまさにこれです。才能があったからなんです。
※ここから先は僕が承認欲求を満たして気持ちよくなってるだけです。気分を悪くさせる可能性があります。予めご了承下さい。
小学生時代
埼玉県民ならだれもが知ってる埼玉県硬筆展覧会(小1~中3まで6月の国語の時間にやるやつ)で小4のときに県を制しました(埼玉県知事賞)。
これはその時の作品です。
中学生時代
僕は学校での硬筆や書き初め(小3~中3まで1月に国語の時間にやるやつ)以外にも習字教室に通っていたのでそっちの方でも作品を出す機会がありました。中学生の時は書き初めで習字教室の界隈を制しました。
人生初の取材でした。
高校生時代
高校生になると書道部でないと学校のほうで作品を出せませんでした。自分は中高ともに陸上部だったので、習字教室でのみ作品を出しました。高校生は学生ではなく一般のくくりなので大人と競うことになるのですが、今まで通り受賞を重ねていきました。
名前が違うのは雅号です。ペンネームみたいなものです。4文字なのでバランスがとりづらいです。
現在
ちなみに今でも習字を続けています。とはいっても電通大のバカみたいな量の課題と陸上とバイトを同時並行で行わなければならないのでどうしてもほかの人よりも時間が確保できません。そのため、限られた時間で全集中して作品を仕上げていました。それで今年の10月に師範になりました。20歳で師範はなかなか若いと思います。
この作品で師範に昇段しました。
まとめ
ということで島田の自慢タイムが終わりました。きもちよかったです。ありがとうございます。
でもここまで読んでくださった方の中には
「ここまでの実力があってなんで陸上部なの?」
と疑問を持つ人もいるかもしれません。理由は簡単で習字よりも陸上のほうが好きだからです。今の死にそうなほど忙しい生活の中で習字が占める割合は1%ほどです。いくら才能があるとはいえ、最近は現状維持が精いっぱいで昔ほど結果を残せないでいます。そのたびに「もったいない」と言われてしまいますが、僕は全く後悔してないですし、これからもしないと思います。そもそも自分で選んだ能力じゃないですし(笑)。皆さんの中にも自分のやりたいことと得意なことが一致しない人がいるかもしれませんが、ぜひ、能力に頼りきりの「楽」な方よりも自分にとって「楽しい」と思える方を選んでほしいです。
なんかいいことを言えた気がするので本当にこの辺にしておきたいと思います。最後までこんな私欲にまみれたブログを読んでくれたあなたはかなり器の大きい人間です。就活のアピールポイントにでもしてみてはいかがでしょうか。
次は電通大陸上部のスーパールーキー、平林君にお願いしようと思います!
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