リレー種目を通じて

リレー種目を通じて
池山からバトンタッチを受けたサイタマケンジン、修士2年の森山です。

バタンタッチということで自分はリレー種目について書こうと思います(唐突)。初めてリレーを走ったのは高校2年生地区大会、最終種目4×400m(マイル)リレー、一走でした。ラップタイムは54.5、7レーンで前半から飛ばし、後半鬼のようにバテて抜かれまくるというレース内容で、先輩からまじ遅いwと言われたのをよく覚えています笑。それ以来マイルリレーは辛いし遅いし責任重いしで絶対に出たくないと思うようになりリレー種目は他のメンバーに全て任せていました。(4×100mRはそもそも100mのタイムが12秒台だったので補欠にも入ってませんでした。)

その後も最後の大会までマイルリレーからは逃げるように出場を拒み、結局引退レースでもリレー種目にはほとんど出場せずそのまま引退、受験勉強へと移りました。

大学に入学してもこのリレーを走りたくないという気持ちは残っており、リレー種目の練習にはほとんど参加しませんでした。
しかし、その後あるきっかけを境に、リレーという種目の重要性、面白さに気づきます。それは、大学2年の頃の4×100mRです。先輩に誘われ佐藤先輩、田中、自分、畠山先輩、三浦のチームで初の関東インカレ出場、27大学決勝進出を目標に取り組みました。10秒台は田中の1人だけ、最初は夢物語、無理だと思っていました。が、先輩たちのリレーに対する本気の気持ちに共感し、叶えたい目標へと変わりました。
結果から言うと、残念ながらそのどちらも叶えられませんでした。ですが、そこで共に走った仲間との時間、走るごとにチーム記録を更新していった達成感、記録が伸び悩んだときは仲間と話し合い戦略を立てた時間、本当に全てが良い思い出です。また当時のリレー種目の成績がよかった時期はチームにも勢いがあったと感じています。リレー種目とは、チームに与える影響も大きいのだと思います。(今の部も十分勢いがあると思います。)


結局、私が言いたいことは、
「挑戦しなかった先には無か後悔がある」
「挑戦した先には後悔か喜びがある」
です。

自分の不甲斐なさから目をそらし、チームではなく自分のことだけを考え、辛いことから、責任から逃げるばかりの高校陸上人生。今では『もっと高校の頃リレー種目に全力で取り組んでいたら同期と関東大会、インターハイに行けたかもしれない、引退試合ぐらい同期と走ればよかった、もっと仲間と一緒にリレーを走りたかった』と後悔するばかりです。
本当に情けない限り、挑戦しなかった先が無ならばまだ良いのですが、大抵の場合は後悔が残ると思います。


もう自分は電通大陸上部とはあと一年の付き合いとなり、後輩にバトンタッチをする時が近づいてきました。最近は短距離練習に参加する部員も増え、非常に嬉しい反面、この楽しい時間があと一年しかないと思うと本当に悲しくなります。どうか挑戦する気持ちを大切に、後悔のない大学生活、陸上人生を送って行ってください。

修士2年森山史孝
次は就活で顔が死んでいるよき仲間、田中君にバトンタッチしたいと思います。よろしく。

余談
今まで関わってきたリレー種目はどれも本当に思い出深いものですが、特に心に残っていることが2つあります。1つは話にも上がった学部2年の頃の4×100mRの試合。そしてもう1つは学部3年生27大学4×400mR予選です。吉野先輩、自分、高島、田中で走った大雨の中での試合、先輩の最後の対校試合で決勝に行くことに貢献できたこと、後輩を支えることができたこと、同期と走れたこと、本当にいい思い出です。まさか、自分が走ったマイルリレーで感動する日が来るとは思いもしませんでした。自分も今年で最後、尊敬する先輩方のような後輩の手本となれるよう努力したいと思います。

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